関西人の譲れない事情
僕は生まれも育ちも大阪の、生粋の大阪人です。
大阪の大阪による大阪の為の出産によって産まれたと言っても過言ではありません。
たぶん、ほとんどの大阪産まれ大阪育ちの純血の大阪人はこう思っています。純血の大阪人である事を誇りに思っています。
さて、現在僕は、一時的にですが、色んな出身地の人が集まるコミュニティの中にいます。そこでのふとした会話の中で、ちょっとした衝撃がほとばしりました。
僕が某メジャーコンビニの名称を声に出した時でした。
「あそこに”セブイレ”あるやん!」
お分かり頂けただろうか…
「あそこに”セブイレ”あるやん!」
「”セブイレ”あるやん!」
「”セブイレ”あるやん!」
「 セ ブ イ レ 」
そう、この呼び方である…。
■「セブン」と呼べない事情
周囲の声は、
「セブンじゃない?」
「セブイレって呼ぶ人初めて見た…」
「セブンの方が楽じゃない?」
うっさいわボケェェエエ!!!!
「セブンじゃない?」「セブンの方が楽じゃない?」
いや解ってる。これに関しては純血の大阪人の俺ですら解ってるから。
ただ、想像してみてほしい。
仮に僕が関西人コミュニティの中で「セブン」発言をするとどうなるかを。
関西人…特に大阪人は無駄に関西人としての誇りが高い。まるでベジータだ。
「おいおいおいおいすっかり関東に染まってしまったなぁ!えぇ、おい?」
「すっかりシティ派気取りかいハゲ」
「セブン?やかましいわボケ」
といった言葉が連続エネルギー弾のごとく飛んできます。
「攻撃」ではなく「口撃」なんです。
あと、ちょっとしたシティ派風を吹かせてしまって、関西人コミュニティから外されるという事は純血の大阪人にとって死に値します。
まず、ボケます。
→スルーされます。ツッコミが飛んできません。
ツッコミます。
→しらけます。
フリます。
→スルーされます。ボケてくれません。
テクとして間を使います。
→スベった扱いされます。
天丼などに乗っかります。
→空気読めない扱いされます。
ご覧の様にとても痛ましく凄惨な、死んだ方がマシなレベルの拷問を受けます。
もはや同じ関西人としては扱ってくれません。栽培マン扱いしかされません。関西人コミュニティから抹殺される事止む無しです。
なので僕らは断固として「セブイレ」呼びを続けるのです。
断固として譲れない…
「マクド」呼びを!!
この終わらぬ論争から理解できる様に、双方の意見が交わる事もないし譲り合う事もない。コレは戦争でありどちらが正しいとかはなく、勝った方が正義なのだ。
僕は今日、ここで「マック派」を死滅させる気でいる…。
見せてやる…!俺たち、誇り高き純血の大阪人の言い分を…!!
「マック派」は恐らく「McDonald’s」の「Mc」の部分だけを取って「マック」呼びをしてるんやろうけど、いやそれちゃうやんな?仮に「マク」とか「ムク」呼びしてるなら解る。こっちも譲歩する。
でも「Mc」は「マック」じゃないやんな?
それとも何?君たち「マック派」はマクドナルドを略さずに言う時「マックドナルド」とでも言うんか?え?え?
さらに「マック派」の思考が理解できない点は何故か「ビックマック」を比較に出す事だ。
は?は?は?はぁぁああ〜〜〜〜?
さて、だいたいここまで言うと顔をサルのケツみたいに真っ赤にした「マック派」はさらに感情的になって攻め立ててくる。完全に感情だけで動くめんどくさいやつだ。
次に言ってくる事は読めている。「朝マック」の件だ…!!
言う。言ってるから。思いっきり「朝マック」って言ってるから。
ベジータまがいの純血の大阪人は常々「マック」呼びに対してこの様に思っている。
今後「マクドナルド」大先生を「マック」呼びする不躾者共を見かけようものなら絶対に許さんからな…!!
■エスカレーターの譲れない立ち位置
エスカレーターの立ち位置は全国的には「左立ち」が基準とされていて、関西の一部の地域だけが「右立ち」とされている。
筆者はこれに関してはどうでもいいと思っている。郷に入っては郷に従えの精神である。「左立ち」が文化のエリアで頑なに「右立ち」を貫いたところで、ただ邪魔なだけだし誰も得しない。
大阪や兵庫は右寄りだが、ややこしいのは京都…そうお前だ。
京都は日によって右だったり左だったり曖昧だ。
滋賀は完全に左立ち。
奈良、和歌山はよく解らないのでドムドムバーガーでも食べてなさい。
問題は京都や滋賀で、そこから右立ち圏内の大阪に帰ってくるとどっちに立つべきか錯覚して解らなくなる。前に人がいなくて自分がエスカレーターの先頭だと確実にそうなる。
右立ち文化による不毛なトラップだ。
僕はかつて、上記の様な状況でトラップに陥り、エスカレーターの先頭で誤って左に立っていた事がある。
途中で後ろを振り返ると、後続の人は全員右に立っていて、それに気付いた僕は生まれて初めて心の底から震え上がった…
真の恐怖と決定的な挫折に…
恐ろしさと絶望に涙すら流した
これも初めてのことだった…
この様に、もう誰も僕の二の舞いにならない様に、正直エスカレーターの立ち位置は全国で統一されてほしいけど、変えられないのは「セブンイレブン」のケースと同じで、「右立ち」文化の中で「左立ち」を繰り出すと、純血の誇り高き大阪人に攻撃されるからに他ならない。
■総括
この様に関西人が様々な事象で譲れない場面があるのは、基本的に関西人である事に誇りを感じているか、また、その誇り高き関西人に迫害されない為だ。ベジータ同士、お互いの戦闘力を理解しているからこそ恐れているのだ。
だからみんなどうか、環境が変わってもモノの略称を変えられない関西人の事をみんな理解してあげてほしい。