死んだ魚の目って言われても

日々徒然を綴りながら、夜な夜な社会に噛み付いたりするブログ

オシャレとは

最近巷にはオシャレな人が増えたと思う。いわゆるファッショニスタってやつだ。
 
要因はいくつかあると思う。
プチブランドの出店が増え、チープだけどトレンドをしっかり捉えた服が安く簡単に手に入る様になったとか、SNSの発達により、オシャレな服の着方の参考になる人が多く可視化される様になり、誰でも簡単にオシャレ感を醸し出せる様になったとか…。
 
これに対して、僕は言いたい事がある…。
 
その最近もてはやされている「インスタグラマー」だったり「ウェアリスタ」のほとんどがファッショニスタなんかではない…。
 
ただのオシャレの皮を被った哀れなモンスターなのだ!!
 
 
■真のオシャレとは
まず「真にオシャレな人」の解説からいこう。
本当にオシャレな人とは「最初にトレンドを作った人」だ。常に流行の最先端を走っている人だ。
 
彼らは自らのスタイルをSNSなどで発信する。それを、自分のスタイルに芯がない「自称オシャレ」のただの「トレンドに敏感な人」が拾い上げ祀り上げる。またそれをメディアが取り上げ拡散される。
 
流行の完成だ。
 
こういったムーブメントを作れる人が「オシャレ」と言われるなら僕は納得する。
 
■生まれるトレンドと作られるトレンド
ちなみにトレンドにはもう一種類あって、同じトレンドが何シーズンも続くと、当然だが服の売上が落ちる。それはファッション業界としては大変喜ばしくない。それを避ける為に、ファッション業界ではハイブランド同士が結託して似た様な時期に似た様なスタイルを取り上げ売り出していく暗黙の文化がある。
そしてファッション雑誌があたかも、ハイブランド達が同時に打ち出してきたスタイルが流行ってるかの様に流布する。
 
「服を作る→それがトレンドになる」
 
ではなく、
 
「今年はコレを売りたいというトレンドを先に考える→それに合わせた服を作る→ハイブランドよりも下の格のブランドがそれに合わせた服を作る」
 
が正しいのだ。
 
これがトレンドの生まれ方であり、「流行は一周する」と言われるカラクリの正体だ。
僕はこのカラクリを初めて理解した時、着ている服を一旦脱ぎ捨て全裸になり、ファッションのあり方について考えた。
 
この様な、業界によって作られた偽りのトレンドなんてクソだ。正しいトレンドとは、オシャレな個人のスタイルに「結果」というカタチで後から付いてくるモノなのだ。
 
■もう一つのオシャレ
トレンドの最先端にいなくたって、自分の好きな服を自分の着たい様に着て、尚且つそれが、色だったりサイジングのバランスが優れている人もオシャレだと思う。ファッションとは個性の主張なのだ。
 
最近だと「MISTER MORT」的なのが僕の考えるオシャレに近い。
「MISTER MORT」とは、街を歩いている人の何でもない着こなしをピックアップし発信しているスナップサイトだ。作られたり飾られたりしていない、日常の中に落ちているオシャレを紹介している何とも素晴らしいサイトだ。
instagramではスナップだけではなく、実際に街行く人に声をかける様子や、撮影している様子があがっている。個人的にはinstagramを見ている方が楽しい。
 
そこには人々がファッションを楽しんでいる様子が集まっている。
 
 
 
■町の実態は…
前置きが長くなったが、これが僕の考えるオシャレな人だ。
 
では最近巷に溢れている「オシャレ」とされている人はどうか…?
 
どいつもこいつも同じ服装・ブランド・流行りモノを身にまとい、自らがオシャレの広告塔と言わんばかりに今日も元気に誰も求めていないオシャレの押し売りをしている。
 
同じモノをまとっているので、遠くから見るとシルエットも同じで見分けも付きません。強いて言うなら色が違うだけ。
そういうのはゲームの同キャラカラーだけにしてくれ!スマブラだけにしてくれ!
もはや完全なる量産型だ。個性のカケラもございません。
 
彼、彼女らは自分で自分の事を「オシャレ」だと思っているが、実際はそうではない。ただの「オシャレな人を真似ているだけの人」だ。トレンドを後追いしている時点で既に2番手なのだ。勘違いも甚だしい。君たちはオシャレの皮を被ったチンカスなのだ。
 
チンカス達はそこら辺を理解していないので、勝手に自らをオシャレなファッショニスタと勘違いし自らの発信するが、やはりそこはチンカス。ただのトレンド意識型量産型ファッションなので、それは今更オシャレではないしエセファッショニスタなのだ。
 
自分で「トレンドに敏感な人」とか「流行を着る人」って名乗るなら良いけど、何を勘違いしたのかチンカス達はSNSに自分たちのチンカスを撒き散らし、新たなチンカスの芽を育てるのに日夜励んでいる。その結果自ら撒いた種で量産型がさらに増え、没個性が加速する。なんとも皮肉な話だ。
 
 
■勘違いファッションモンスターの巣窟、instagramに見るハッシュタグ事案
instagramなんかは特にその傾向が顕著で、チンカス達によるチンカス達の為のチンカスハッシュタグも生み出されている。
 
 

f:id:kentarock69:20170826210633j:plain

 
 
な、ななな…なんと…なんと浅ましい…!!
 
もうこのハッシュタグの押し売り具合から、自らがオシャレと思われたいオーラがこれでもかと言わんばかりに伝わってくる。もうこの押し売りの姿勢が既にオシャレじゃない。真にオシャレな人ならまず媚びない。
 
 
「#お洒落な人と繋がりたい」
「#お洒落さんと繋がりたい」
「#おしゃれさんと繋がりたい」
 
 
に至ってはまとめんかい!!一緒やんけ!!
 
あと繋がりたいと言ってるけど、これはアレです。オシャレな人を敬っている訳ではなく、内心自分の事をオシャレとした上で、「おしゃれ同士繋がりましょう」というタグです。
まずお前はオシャレじゃないけどな!!ハゲ!!
 
 
 
 
「#オシャレ」
 
 
 
やかましいわ!単発すな!!
 
 
■エゴの押し売り自撮りーヌ達による事案
エセファッショニスタ達は何と戦っているのか、とにかく自分のファッションを主張する。
instagramやwearといったSNSにその日の自分の服装をアップする。別に誰が待っている訳でもないのにアップする。誰も聞いてもないのにブランドをタグ付けしたり、今日のファッションのポイントを解説しちゃってたりする。
 
トレンド追いかけてるだけの別にオシャレでもないヤツが!!!!
 
同じ様な量産型にネットの世界で持て囃されただけで何を勘違いしたのか、途端にモデルぶったりする。
仮にオシャレに見えてても、自己主張の強さが垣間見えた途端、オシャレよりイタさの方が圧倒的に勝る。
 
オシャレに思われたいなら、それを押し売るかの様に主張するんじゃなくて、黙って街でも練り歩いてればいいのだ。
そこに承認欲求が垣間見えた瞬間冷める。完全にイタいだけになる。
 
そして実際の自撮り写真だが、だいたいが斜め下を見ている。何が落ちてんねん!!
 
僕はその1枚の写真が完成するまでのバックボーンまでも考えちゃうタイプなので、「この写真は何テイク撮った内の1枚なんやろ」とか「これ背景もこだわってるんやろか…?壁やけどな!」とか「いつも人に撮ってもらうん頼んでるんやろうか…?セルフタイマーならそれはそれで、そこませして何と戦ってるんやコイツは」とか考えてしまいます。
 
こうして過程をイメージする事によって、本来苦労の結晶で出来上がったはずの渾身の1枚にイタさが滲み出てきて、やはり、オシャレ感よりイタさが勝ってしまいます。
 
 
タートルネックによるオマージュ事案
去年の冬のトレンドによる量産型大学生♂も、特にこの傾向が強かったです。
タートルネックにチェスターコート着てクラッチバッグを持つだけで、はい、自称オシャレ通()の量産型大学生の完成です。
 
ついでに言うと髪型はトップにボリュームを置いたマッシュ寄りのスタイルか、ツーブロにうんこ乗せたみたいなスタイルの2パターンです。
 
ツーブロうんこ乗せスタイルは顔のパーツが全て表に出て、髪型で顔をごまかせないスタイルなのでブスは遠慮するのが懸命です。ブスがより目立つだけです。何でもかんでも流行りを取り入れればいいものじゃありません。
 
そしてタートルネックですけど、タートルネック男子が街に溢れた所で、もう上野クリニックのステマにしか見えません。
何?君たち、オシャレに思われたいんじゃないの?「ひとつウエノ男」になりたいの?
 
 
 

 
 
 
そのタートルネックでタートルヘッドでも包んでなさい。
 
 
この様にエセファッショニスタ達は、後々黒歴史になる事必須の事案を日夜発生させている。恥ずかしすぎて墓まで持っていきたいレベルの黒歴史だけど、恥ずかしすぎて棺桶にも入れたくないタイプの黒歴史だ。行き場を失ったこのイタましさはどこへ向かうのか。
 
そして彼・彼女らは何故個性を発揮させる事を選ばずに、量産型になってしまうのか、以下に解説したい。
 
 
■そもそも何故人と同じ服装を着たがるのか
これには日本の代表的クソ文化である「同調圧力」が関係していると思う。
 
日本には「周囲と違う事をする=群れからつまはじきにされる」という空気が根強く残っている。
 
だからこそ日本には人目を気にして生きる人が多い傾向にあると僕は考えている。
それで周囲と同じ服装だったり、流行ってるとされている無難な服装に自らをはめていくんじゃないかなと。取り敢えず無難で安牌な服装さえしてれば周囲から「ダサい」なんて目で見られはしないですから。
まぁ実際はほとんどの人が他人の服装なんて気にも止めていないのですが。
 
日本以外では、台湾や韓国も似たような傾向にあり、特に韓国なんかは日本以上に量産型エセファッショニスタが蔓延している様に感じる。
 
僕は趣味でよく海外のファッションスナップを見たり、実際に海外放浪していた時も肌で感じたが、欧米の人は自分の着たい服装をいかにオシャレに着るか、トレンドを意識しつつもいかに個人を主張するか、に拘った傾向にあると思った。
欧米人のほとんどが他人の目なんか気にせず生きているからだ。
 
 
■エセファッショニスタが真のファッショニスタになるには
冒頭でも述べたが、僕はファッションとは「個の主張」だと思っている。
それなのにファッションで主張せずに量産型スタイルで周囲と同じに染まって、挙句の果てに「自称ファッショニスタ()」ぶってSNSで今日も元気に自己主張してくるから鼻につくのだ。
 
量産型ファッションで量産型として生き、量産型であると自覚してるならまだ良い。
 
「自称ファッショニスタ()」もオシャレに思われたいなら思われたいで、トレンドなんかほどほどに押さえつつ、もっと自分を出していけばいいのだ。
 
 
一旦心も体も裸になりましょうよ。スッキリしましょう。
 
 
で、一旦リセットした上で街を歩きましょう。
 
 
 
するとどうでしょう、今まで感じていた自意識過剰な上での視線は感じられず、真の視線が感じられます。
 
 
 
見てます。
 
 
 
みんな、見てます。
 
 
 
生まれ変わったあなたを見ています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公然わいせつ罪で捕まります。